2011年4月20日水曜日

内閣府原子力委員会へ

化石燃料資源の乏しい我が国において、
原子力発電はまさに画期的な発電方法でありました。
そして、それを安全に運転していくことによって、
石油に依存しないという自立した国の在り方もたぶんに魅力的でした。

しかしながら、深刻な事故を起こした場合には計り知れないほどの
損失となるということが、今になってはっきりとわかりました。
実際にはスリーマイル島やチェルノブイリのような事例があったにもかかわらず、
国民の多くは技術立国である日本においてかような事故が起きるとは
思っていなかったはずです。

これまで原発によってわたしたちはたくさんの恩恵を受けてきました。
戦後の復興と高度経済成長を果たすことができたのも
原子力発電を抜きには考えられません。

しかし、わたしたちはそうした奇跡的な成功におごり高ぶっていたのです。
いつかは米国を追い越すことができると信じて経済を発展させてきましたが、
結局、追いつくことはできずに、今世紀に入りその差はひらく一方でした。
事実、インターネットなどの近代を象徴する技術はすべて米国製なのです。

残念なことに、21世紀以降のわたしたちは
技術立国の皮をかぶった怠け者だったのです。

敗戦の屈辱を克服するところまでは何とか漕ぎ着けたが、
それ以降は目先の利益ばかりを追求する意地汚い民族に成り下がってしまった。

それを端的に現しているのが原子力発電です。

本来であれば技術立国の名に恥じぬよう、半世紀以上昔の発電方法などに固執せず、
もっと安全で安価で効率の良い発電方法を開発していなければいけなかったのです。

原発事故を起こしてしまった今、負の遺産を子供、孫、子孫代々にわたって
押し付けることになってしまった。
これをあがなうためにわたしたちはこれから先、
一体どれだけの「電気料金」を支払うことになるのか。

原発は全く安価ではなかったのです。本当はとてつもなく高価な「電気」だった。
いや、結果そうなってしまったという方が正確ではありますが。

仮に今後も原発を存続させるとします。
新設するとしたら想定外の事故要因を限りなく打ち消した、
高度に安全設計ではあるが、非常に高額な施設となるでしょう。

そして原発による電気料金は既設原発の事故後の賠償を見込んだ
料金設定となります。
さらには国民には「不安」というストレスを継続的に与え続けることになるでしょう。
したがって原発の存続というのは、ただちにすべての原発を無くせというのと
同じくらいに非現実的なのです。

以上のことからわたしたちのこれからは、原子力ではない制御が可能な
新しいエネルギーの開発と生活の質を落とすことのない省エネルギーに
挙国一致で取り組み、
それと共に既存の原子力発電所を徐々に無くしていくべきなのだと思います。

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