2012年2月12日日曜日

石巻へ

二度目。今回のボランティアバスツアー先は石巻、牡鹿半島の大原浜。

途中でまず、津波の爪痕がそのまま残る石巻市内のありさまを目前に突きつけられる。
有名な大和煮の缶詰を模した赤い看板もゴロンと転がったまんまだ。

さら地に点在する瓦礫の山は、前回のボランティア先でもすでに目にしていた。
しかし、津波に飲まれて使い物にならなくなった車が何段にも積み上げられ、道に沿って縦横をつらぬく長い壁となっていたのは、これまでに見たことのない光景だ。
この創造された廃墟に唖然となる。

そこからさらに牡鹿半島へとわけ入り、辛うじて津波から逃れた公民館に設えたボランティアセンターで作業の説明を受けて、いよいよ現地に向かう。

大原浜。そこは浜といえど、地盤沈下によって砂浜は完全に消失している。
夏になると海水浴客でにぎわう、というような風景は、この先も当分は見られないだろう。 今はこれ以上の波の浸食を防ぐべく、海岸づたいにテトラポットがすき間なくおかれているのが痛々しい。

今回の作業は神社の参道のわきにある、ちょっとした高台のさら地に散らばる家の残骸、木片、瓦やガラスの欠片、コンクリート片などをより分けて片づけるという内容。
しかし、ここは冬が過酷な東北、土がカチンコチンに凍っていて、それらが埋まっている周辺をスコップで削ってほじくり返すのにとても苦労する。

休憩時間に陽光にきらめく海を見る。

何て綺麗なんだろう。

この高台から見る海はどこまでもとても穏やかで、それから敵意などは微塵も感じられない。 ここで同じように海を見て、きっと同じように思った人たちが、その同じ海に命を奪われたということをどうしても理解することができない。

その不可解を埋めるのが、復興ということなのだろう。

ボクらのしていることは微力で、成果もすぐに目に見えるようなものでもない。だけど、Googleの検索窓に知りたいことを打ち込めばすぐに答えが返ってくるようにはなっていない、っていうのが、ゼロからのはじまり、ってことなんだろう。

これだけ成熟して、多くは老朽化した日本において、こうしたゼロから始まるってことに居合わせるのは、そうそうないことだ。そういうのを敏感に感じとってるのだろうか、春休みを利用して、この機会に参加してる大学生が多くいたことに胸が熱くなる。

そして、彼らに胸を張れるような社会になっていない日本の体たらくに、ボクら大人は猛省せねばならない。
もう、過去の余韻である石原慎太郎などに責任をなすりつけるような時代とは決別して、アップデートしなくては。

2012年2月5日日曜日

焼鳥

ずっと懇意にしていた焼鳥屋がある。 とにかくとても美味しい。しかも安い。 そんな店に20年ほど通っていたのだが、 一昨年、訳あって閉めていた。 それが今年になってから奇跡的に再開。 とても嬉しかった。

これはとてつもなくうまいレバー。

2011年10月23日日曜日

土嚢に込めた思い

被災地ボランティアに行ってきた。
新宿から現地に向かうときから、そぼ降る雨だったが、着いた頃には本降りの雨。

そして。
嗚呼、目の前を覆うのは津波で破壊しつくされた家、営み、命。
何も悪いことしてないはずなのに、何てことだろうね。
たくさんのものをあっけなくさらってった痕跡をリアルに目にすると、
やっぱり絶句する。言葉にならない。

 いや、感傷に浸りにきたわけじゃないのだ。

ボクらボランティアに割り当てられた作業は、
土嚢袋に側溝から掻き出された泥を詰めて、
それを積み上げていくというもの。
インドでならば、低カーストの人がやらされるようなことを
老若男女の参加者がひたすらに黙々とこなしていく。

こういう作業を特に日本を目茶苦茶にしてきた政治家や官僚が
率先してやればいいのにYO!、と無性に怒りが込み上げてくる。
だが、津波にのまれて惜しくも亡くなった方々の霊魂が前へ進ませようと、
そういう気持ちを抑制させるのだろうか、汗だくになりながらも、
終始、淡々とこの作業を続けることができた。

主にボクは土嚢を運んで積み上げる担当だったが、普段80kgのバーベルで
デッドリフトやスクワットをやってるのに、
この作業は雨で足場が悪くてうまく踏ん張れず、つい腰に負荷がかかってしまい、
ううう…となってしまった。
次回までにはこうならないコツを習得しておかねばな。

終日のはずだった、これらの作業は悪天候のせいで昼過ぎまでと変更になったが、
うずたかく積み上げられた無数の土嚢を見ると、ふん♪と、思わずドヤ顔になった。
参加した人も同じだったんじゃないかと思う。

そして、お昼には地元のお弁当が出された。
ごく普通の放射能に汚染された食材を使ったミックスフライ弁当だ。
それを食べながら、ふと思った。とてもじゃないが、
こんな弁当を子供には食べさせられないが、
ボクらR40はこうした汚染食品をむしろ積極的に食べるべきなのではないのか、と。

罪もない大勢の人たちが津波にのまれて亡くなったという事実。
ボクらが生きていられるのは、ホントにたまたまなんだ。
生き残ったボクらの命が価値あるものだったからでは決してない。
ただでさえ少子高齢化の抜本的な対策がなおざりになったまま、
国家の正常な機能がみるみる落ち込む一方の日本。
子供や子孫の未来を謳うのならば、原発を無くしていくのと共に、
汚染された食べ物をボクらが食べて、ある程度…そうだな、遅くとも72歳くらいまでには、みんな死んだ方がいい。そうして高齢化の分子の偏りを是正するのだ。

だいだらぼっちか、神みたいなものの痕跡を間近に見ると、
誰もがこうしてタナトスを呼び起こされるものなのか。
みんなも被災地にくると、こんな気持ちになるのだろうか。

帰りには福島の東洋健康センターっていうところのセシウム温泉につかりながら、
命は削り取られるが腰の痛みはやわらいでいくというアンビバレンツな感覚を堪能する。

ああ!これってスマックにも似ているな。

内省すれば、いやしくもボクだけは生きていたい!と魂が叫んでいるわけではないのだ。
原発は絶対に無くすつもりだが、それは自分が長生きしたいからってわけじゃ
ないんだよな…って白昼夢が、積み上げられていく土嚢のごとく、頭に拡張していくのだった。

命の尊厳と尊重 ≠ 長生き なのだから、ね。